旅のはなし―①旅をしようと思ったきっかけ―

でははじめましょうかのぅ。
ココでは海外に絞って話を進めます。
1度の旅行を、何回かの記事にわけることもあります。


まず、きっかけから。
おいらの祖父は息子が生まれた1週間後に息を引き取りましたが、
「日本を出てみたい」と思ったのは祖父がきっかけです。


祖父は貿易船の船長で、主な航路は東南アジアでしたが、
まれに北アフリカや中近東、中国へも行きました。
年の半分以上を海外で過ごしていた(いや、海の上?)ので
おいらと弟はじーちゃんになかなか会えなかったんです。
そんなおいらたちのために、祖父は船の中で手紙を書いて送ってくれました。
住所は船内のタイピストへ頼んでいたみたいだけど、たまに住所のつづりが
違うんですよ。たぶん、日本人じゃないからわからなかったんでしょうな。
手紙には現地の子供たちの様子や食べ物、文化について書かれていました。
おいらと弟は、母と一緒に地図を眺めながら祖父の位置を確認しました。
手紙が楽しみでした。


祖父はおみやげも豪快に送りつけるという特技があって、
栗やウーロン茶(中国)を俵くらいあるんちゃうの?という大きさの麻袋で送付。
謎の民芸品や楽器、人形などを送りつけました。
スリランカの楽器は演奏方法「?」やし、パキスタンで買ったというド派手なチョッキ
(ベストではなくあえてチョッキ)を着て小学校へ行けば
売れないマジシャンのような言われようでした…(哀)


実はおいら、小学校のとき(ほぼ6年間)いじめにあっていたんですよ。
わりと陰湿でした。男子とは仲良かったけど、女子から。
勉強もできたし、習い事がクラシックバレエだったのがいかんかったみたいで。
「バレエ習ってるなんてウソやろ?ほんまにやってるか見せてみろ」といわれて
おけいこへ出かけるときに待ち伏せされてかばんの中身ぶちまけられたりとかね。
そんなんで、現実がとっても嫌でした。


おいらの楽しみは、祖父のお土産と手紙。
たまに日本に帰ってきた祖父から外国の話を聞くのが楽しみで仕方なかった。
祖父は「クイーンズイングリッシュを話せば、みんなが尊敬する」とよく言っていました。
それが、外国へ行きたいと思ったきっかけであり、英語を勉強する動機付けとなりました。


今日はここまで。