thanx 4 waiting!

おはようございます。
今日は、復帰第一弾ですので、マジメなお話をすることにします。


まずは、長らく更新できなかったにもかかわらず、毎日のように覗きにきてくださった皆さまへ、厚く御礼申し上げます。


では、更新しなかった理由について、説明します。
少々不愉快に感じる個所が見受けられるかと思いますが、ご容赦いただけると幸いです。


早い話が、気分的に沈んでいて日記どころではなくなったからです。
もともと躁鬱の激しかったのですが、育児と就職活動への行き詰まりから、さらに激しくなりました。
関西で生まれ育ったおいらにとって、今この土地で暮らすことは、「鬱」です。
それは、家族にとっても同じだと思います。夫も、仕事がなければこの土地へはこなかったでしょう。


就職活動するなかで、企業から発せられた心ない言葉に、はじめは耐えられたのに言われつづけるとだめですねぇ。
さすがにつらかった。働きたい意欲や今までの経験、能力すら聞いていただけることなく門前払い。
ここへくるんじゃなかった、そう思いました。


また、「専業主婦」とのお付き合いにも悩まされました。
今仲良くしている友人たちというわけではありません。出入りしている場所で見かける専業主婦の方々をさしています。
子供たちやだんな様へかけるエネルギーのすごさに、圧倒されてしまいました。
「自分」をそっとしまいこんで、ひたすら自信を持って子供たちのことを考える彼女たちの生き方を見て、
「駄目な母親なんだろうな」「本当はおいらも、子供や夫を一番に考えなきゃならんのやろうな」と思うようになり、
どんどん追い詰めてしまいました。


おいらは、母が少々フェミニストでして、「男女関係なく自立してなんぼ」という家庭でした。
だから、出産して新しい会社で働けたことは大きかった。とてもうれしかった。
仕事内容はいまいちでしたが、皆が助けてくれて、社会の中の自分が確立され、自分の大きな糧となりました。


しかし、前述の彼女たちと話していると、「養われる自分をあっさり受け入れている」。これはショックでした。
おいらは、母が働くことで不都合に感じたことはないし、むしろ「働く喜び」を間近に見ることができて、それが
働く大きな動機付けとなったわけです。
そして、おいらの友人に、両親が熟年離婚している者がおり、友人はお母様へひきとられましたが、お母様が経済的に
自立しているので、マイホームを買い、友人も普通に大学へ進学しています。
これが、母親が「養われて」いたとしたら?おそらく、友人は今のようではなかったかもしれません。
その光景を思い浮かべるたび、「いつか自分も…」と思います。


今でも、出産した数少ない友人が職場復帰を果たしたことを聞いたり、専門職の友人がどんどん飛躍を遂げている話を聞いては
涙することも多いです。悔しい。その気持ちにうそはない。
現在は、息子との生活を見直し、来年4月から働けるよう準備をすすめているしだいです。


自分を見つめなおして出た結論ですが、おいらやっぱり「専業主婦」って好きじゃない。そういうカテゴリーが嫌い。
おいらには、夫や子供をいちばんになんて、考えられません。
自己実現の延長線上に夫や子供がいる。だから、そういう生き方はできない。
息子のために一流の教育を施したいか?答えはNO。 本人が望めば別ですが。
夫のために、家事や育児は完璧にこなせるか?答えはNO。 おいらは、そういったことを共にやってくれる人をパートナーにしたい。おいら、家政婦じゃないもん。
だから、今でも「ニートの一種」だと思っています。


息子には、働く両親の背中を見て、身近な経済活動とそれによる恩恵を感じてほしいと思っています。
学校から帰って笑顔で出迎え、おいしい手作りお菓子でもてなす…そんなふうにはできないですね。
そのぶん、埋め合わせをする自信はあります。そばにいたって、人なんて分かり合えませんからね。親子でも努力は必要。


ただ、「養われる自分」「夫や子供にすべてを捧げんばかりに奮闘する自分」を受け入れられたら、もっと楽だったかもね。