ちょっとダークなお話

突然ですが、今日はダークなお話をします。
ハッピー気分に浸りたい方は、ご覧にならないことをお勧めします。
また、旅日記は後日更新とさせてください。


以前、自分にADHDの気配があるという記事を書きました。
その件に関連している内容ですが、いかに自分がうまく他人との距離がとれないのかを痛感した一日でした。そして、今は人と接することが非常に怖い。誰にも会いたくないのです。オーバーな表現にうつるでしょう。しかし、それが自分の闇の部分でもあります。


具体的な出来事は控えますが、自分と仲良くしてくれていると思っていた近しい人が、実はワタシからの連絡(たまに長電話してました)を迷惑だと感じていたようです。その方へは、友人へ送るような何でもない携帯メールのやりとりをしていました。はじめはこちらから送信すればそれに対する返信があったのですが、最近は4〜5回の送信に対して1回の返信があるかないか、というところです。ワタシが今の住所へ引っ越してからは頻繁には会わなくなり、身内からの依頼もあってまめに電話をしていましたが、その電話も話をするにつれて会話がかみ合ってないように感じることもありました。憂鬱でしたが、先日、一緒に考えなくてはならない案件について電話で話したい旨伝えました。ところが、忙しくて時間がとれないのでというふうに携帯メールでかえってきました。今までのやりとりが悲しくなるような内容でした。ワタシは、込み入った内容を無理に縮め、ひとことお詫びをそえて返信したのでした。


メールを返信したとたん、彼に泣きながら今までたまっていたものを話しました。彼は、「自分を本当に大切にしてくれる仲間とだけ、きちんとつきあえばいいからね」と言いながら、ワタシの話を全部聞いてくれました。人に話したり、ここに書いたからといって解決する問題ではないのですが、「誰とも会いたくない」感情を持ちながらも「誰かに聞いてもらいたい」という気持ちがあり、この日記スペースはワタシの自由な気持ちで書くという方針のもとに、書くことにしました。


おそらくワタシが設定した「このくらいまで話せるかな?つきあえるかな?」と感じるラインが、その方にすると近すぎたのかもしれません。こういうことは今に始まったことではなく、昔からよくありました。ワタシは、人との距離のとり方が下手です。むしろ、わからないのです。だから、ほかの人なら「まずいかな?」と気づくようなことでも、ワタシにはわからないから平気でやってしまうのです。そういうわけで、嫌われるときは激しく嫌われます。悲しいです。なんとかしたいと思います。ワタシは自己主張の強い人間ではありますが、その反面博愛主義者でもあります。できれば、みなさんと仲良くしたいと思っています。しかし、その思いが通じないことのほうがむしろ多いので、このようなことがあるとほんとうにどうすればいいのかわからなくなってしまいます。


ほかの人にはできて、なぜ自分にはできないのだろう…小学校にいるときからずっと悩んできました。いつもひとりでした。最近は自分のペースがつかめて楽しく過ごせていたのに、この1件があってから、あのころの記憶がよみがえります。ワタシには本音と建前の区別すらできません。だから、本心で語りかけてくれているのかどうかを、無意識のうちにさぐって生きてきました。幸い、彼と結婚し、息子を出産後勤務した会社では皆よくしてくれたので、そんなさぐる行為を忘れかけていました。こちらでできた友人たちも(コメントをよくくれます。ありがとう)ほんとうによくしてくれて、うれしいかぎりです。しかし、人には本音と建前があり、それがわからないと人付き合いができないのですね。痛感しました。


最近はファミリーでの付き合いもでてきました。その場合も、どこまで相手を誘っていけばいいのか、どこまで語ってよいのかわからなくなりそうで怖いです。自分のせいで、家族に迷惑をかけたくないと思っているので、楽しく話をしている自分にうそはないものの、内心ひやひやしています。みなさんいい方たちばかりです。しかし、距離が近づけば近づくほど小学生の6年間、ずっとひとりだったことを思い出すのです。こちらは一生懸命本音で話し、みんなと仲良くしようとがんばってきたのに、それをあざ笑い、仲間に入れず学校から帰るときに靴箱から靴がなくなっていた記憶が、よみがえるのです。